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第二幕 それぞれのエゴ


 とある喫茶店の中。隅の席を陣取った男二人は、神妙に向かい合っていた。
 一人は男女共に幅広い人気を集めそうな美貌を、その身に宿す若者だ。目の鋭さからいって男だろう。不可解なことに雨の日でもないのに黒傘を脇に置いていたが、何処か細めに見える身体が、美貌に添えるよう全身黒を纏っているということについて、汚点になっているわけではない。また、肩の下辺りまで伸びる緑を含んだ金髪も美しかったが、やはり不可解な点もあり、何故か前髪だけが黒く染まっている。必ず美貌に不可解な点が備わってくる不思議な若者だ。他にも不可解な点を加えるとなると、ここは北の地方だが暑い日なのに、服装が首を隠すハイネックであることだ。それに薄そうとはいえ、ベルトのような金具がそこについていれば、重い以外何ものでもないだろうに。他に腰にも黒いブーツにも重量感のあるベルトが巻きついている。果たしてベルト好きなのだろうか?
 もう一人は一部の女には野生的と人気が高まりそうな、目の前の男とは対照的な男だった。片方ほど美貌溢れる風貌ではなかったが、微かに褐色の入った肌から生える、ウェーブのかかった少し薄めな黒髪に顎の無精ひげは高貴な野獣を思わせる。狂犬じみた深緑の瞳は真っ直ぐと、まるで恋人を見つめるように金髪の美貌を捉えている。また片方と比べると男は大柄ではあったが、それほど巨漢というわけではない。それが纏うのは、わざと胸板を強調するようにはだけさせた白シャツと、そこから垣間見える金色のチェーン、所々おしゃれに擦り切れているジーンズだ。どこにでもいそうなナンパ男に根性や度胸と豪快さを備え付けたらこんな男になるだろう。
「……」
「……」
 そんな異色な二人は、店内の女性の目をひいているということすら構わない様子で、お見合いのようにじっと見詰め合っていた。
 その様子は、「果たして大丈夫だろうか」―――と、店のマスターまでが思わず心配する始末である。
「……」
「……やはりな」
 不意に。見詰め合っていた片割れ、金髪の美貌が口を開いた。
「貴様の目に映る俺の瞳に嘘偽りは存在しない」
「おぅ、俺もだぜ」
 その言葉に、黒髪の男もクツクツと笑いを含めた言葉で返す。そして、二人は打ち合わせでもしていたのか、それとも本当に偶然なのか、
「「あいつがいないとこれだけ幸せだとはな」」
 綺麗に声を同調させた。
「あーっ幸せ! 俺って本当幸せ者! 今限定だけど! あいつが拘留されてる間だけだけど!」
「全くだ。まさかこれ程までに世界観が変わるとは……人生、不思議なものだ」
 予想だにしなかった展開にポカンとしている周囲を気にしているわけでもなく、二人は楽しそうな笑みをその顔に浮かべている。黒髪に関しては両手を万歳させた状態で叫んでいるし、金髪はそれを恥ずかしいからやめろとたしなめるわけでもなく、自分でも幸せを噛み締めているようだ。
「なぁ、ガートルード。どうせだったらここらへんもう一回りしてこようぜ。あいつがいないときじゃねぇと自由は約束されねぇんだからな!」
「あまり浮かれるな、コンラッド。いくら自由だからとはいえ、何もかもが無限と言うわけではない。自重も必要だぞ」
 うきうきと子供のように提案した黒髪―――コンラッドを、金髪―――ガートルードは今度ばかりはたしなめた。だがその口元には相変わらず笑みが浮かんでいて、少々説得力に欠ける言葉であった。
「わぁったよ……でもお前、これからどうする?」
 今まで散々いなくなった同行者の空白を幸せで溢れるほどに埋めていたコンラッドは、不意に目の前で何処か嬉しそうにモンブランに口をつけるガートルードへ真剣に問うた。
「ん……あいつがいないと確かに俺達は至極幸せではあるが、あまりにもこのままでは今後の行動に支障をきたすだろう。確か今でも拘留期間は未定だったな?」
 今頃は拘留場にいるであろう世界一嫌いな男を二人は思い浮かべる。だが次の瞬間その顔が酷く憎たらしくなり、脳内から掻き消した。
「あぁ……不安要素が二つばかりある。一つはお前の知ってのとおり、〝あいつら〟だ。んでもう一つ目……ここのサツにゃあな、〝死刑宣告人(エクセキューショナー)〟って異名を持つ奴がいるんだよ」
 自分が昨夜のうちに調べた事項を纏めたノートを広げ、シャープペンシルを指で弄んだ後に、風貌にはおよそ似合わぬ几帳面な字体をコンコンと叩いて示す。ガートルードはそれをつまらなそうにちらりと一瞥しただけで、それよりも気になる人物の呼称を復唱した。
「〝死刑宣告人(エクセキューショナー)〟……物騒な輩もいるものだな。で、そいつがどうかしたか?」
 同行者達に対する発言自体が物騒なガートルードが、珍しく柔らかい声で同行者に問いかける。
「ここいらでも有名な強硬派嫌いだ。強硬派を見つけたら捕まえて、そいつらの刑は全て―――死刑だ」
「……ほぅ」
 しかし、コンラッドの同行者の死の宣告という不穏な言葉の響きにも、金髪の美貌は口元を不適に歪めただけだった。そんな様子を見たコンラッドだったが、もう一度紙面に細めた視線を落とす。
「ま、恐れなんてのは多少あるが、大体は機械人間を排除してくれるってことで、身内としても対処は優遇なものらしいぜ」
「なるほどな……その男は機械人間にとっては天敵であるには違いないが、民衆にとっては英雄ということか。……全く、違いとは時に恐ろしいものだな」
「おっと、先に言っておくぜ、ガーティ。―――俺達はすでにそいつに出会ってる」
「何?」
 その日初めて幸せの絶頂だったガートルードの表情が、訝しげに歪められた。それさえも美しい表情を確認してから、コンラッドはノートを閉じた。
 昨日見かけたアグライアの同僚らしい男―――フリードリヒとか言ったか。自分がこの北の地で出会った男といえば、直接話したという訳ではないのだが、その者しか記憶に存在していない。あの優しそうで意志の弱そうな青年がそうだとは、世も末だな―――そんなガートルードの思考を塗り替えたのは、目の前に座っていた男の「甘い」という短い言葉だった。
「お前は頭が固いんだ」
「何がだ」
 ガートルードの考えていたことが全てわかっている、という顔をしたコンラッドは、ぴんと人差し指を立てる。
「じゃあ、一つ問題を出すぞ? ある時病院に男二人の親子が大怪我で運ばれてきたんだ。だが大人の方は病院についてすぐに死亡した。そんで、未だ助かる見込みのある子供を医師が診たんだが、その医師は子供を見た途端、『この子は息子、自分の息子です!』って言ったんだよ。さぁ、これを君はどう説明するかね? 答えたまえ」
「……」
 〝ロスの碩学〟の教授口調に鋭い碧眼を伏せ、顎に手を添えるとガートルードは考え出した。
 運ばれてきた親子は確かに親子なのだろうか。この男が出した問題だ、それぐらいのひねりがあっても可笑しくない。本当は医者の方が実の父で、死亡した男は借りの父親だったが、子供を騙し続けてきたとか。また逆のパターンか。もしくは、女の浮気相手との隠し子を自分の子供と信じてきた哀れな結末なのか。それともあまり信じたくない話だが同性愛者だったか……
「……お前さ、やっぱ頭固すぎ。柔らかくしろよ」
 それきり何も喋らなくなったガートルードの頭を、呆れたように良いながらコンラッドは、触り心地のよい金髪がぐしゃぐしゃになるのにも拘らず、わしわしと乱暴な手つきで撫でた。やはりこの男には、ガートルードの中を見透かす能力があるらしい。
「触るな」
「お前本当にフランス人か? フランス人って、結構女大切にするタイプだと思っていたが……」
「当たり前だ。我がマルソー一族では、女性に対し敬意を表せ、と代々言われ続けている」
「じゃあ絶対お前は敬意を表していない。……答えを言ってやろうか?」
 おまけに溜息までつかれ、フランスの有名な一族の一つであるマルソー一族二十七代目頭領として、ガートルードはこれ以上この男のペースにはまるのは癪で仕方なかったが、大人しくコクリと頷くことにする。それを待っていたコンラッドは、頭を撫でていた手で頬杖を突くと、ニヤリと口角を上げた。
「答えは、母親だ」
「……」
 普通なら答えられそうな常識的な解答に、ガートルードは恥ずかしさのあまり、自分の迂闊さを呪うよりも脇に置いてある黒傘を使ってしまおうか、と本気で悩んだ。だが危うく首なし人間に降格してしまいそうになっていた、事情を知らない幸せなコンラッドは、それでも真剣な口調で相手を諄々諭す。
「お前は物事を偏見している傾向が強い。気をつけないと、命取りになるぜ?」
「……わかった」
 珍しくも真っ当な意見に、ガートルードは重い息をつくと、ゆっくりと頷いた。確かにこの考え方では我が一族の教えに背くことになろう。もう少し物事の視点を変えて―――
(……ん?)
 マルソー一族代々の教えを一から思い出そうとしていたガートルードの思考が、違う方向へ無意識に動いていたし公に、再び中断される。
 何故この男はこんな話をしたのだったか……?
「……お前、まだわかんねぇわけ?」
 今度こそ、本気で呆れたようなコンラッドの声に、ガートルードの片眉が器用にピクリと動いた。物を多く語らない彼の感情を理解する一つの手がかりである―――ちなみにこれは彼がカチンときたことを示す。
「貴様の言葉には要点が無さ過ぎる。わかるように説明しろ」
「お前の言葉には愛想が無さ過ぎねぇか、ガーティ……ま、良いけどよ俺は」
 ガートルードの名の通り槍のような視線を投げかけてきた相手にも怯えず、コンラッドはひらひらと手を振ると、視線を合わさぬようガラス越しに、賑やかな外を眺めた。
「言い忘れたが〝死刑宣告人〟の名は、代々受け継がれるものだ。それはゲルマン民族のとある一部族の中心が、機械人間嫌いだったことから、異名の継承は始まった。フランク王国ってのは知ってるな?」
「勿論だ。五世紀から九世紀にかけ我が故郷フランス含め、西ヨーロッパを支配した国家ではないか」
「その通り(ザッツ・シュア)」
 その問いに鋭い視線が緩んだことがわかると、コンラッドは再び体をガートルードに向き直す。そしてすっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲んでから、〝ロスの碩学〟なりの解析を広げ始める。
「まあ国家はなくなっても、勿論ゲルマン民族の子孫は、今はドイツ人としてだが存在している。そこでだ、俺はその民族の中の中心だったらしい一つの集団に目を置いてみた。新地大革命以前から、機械人間を忌み嫌い続けていた集団だ。主にそいつらを仕切っていた長が、〝死刑宣告人〟の異名を持つことが昨日わかった。何故その名を持つか……それは機械人間に対する司法権が、奴らにも存在するからだ」
 そこでコンラッドは、一度言葉を切った。
 この世界で機械人間は人間に捕まるとどう扱われるのか―――そんなことを考える輩はあまりいなかった。それはなぜかというと、捕まった機械人間は強硬派であり、またその者達と関わりを持つことは、汚らわしいと周りから評価されてしまうことになっていたからだ。そんな彼等がどのような扱いを受けるかなどに興味を持つことは、彼等を哀れみ興味を持っていると、周囲から見られてしまうだけ。皆何か知っていても何か思っても、それを口に出すことは一切許されない。ただ彼等を敵対する言葉しか、紡いではならないのだ。
 ではどのようにして機械人間は法的処理をされてしまうか? 答えは機械人間専属の裁判官がいて、彼等が判決を下す、である。司法権はそこの国家の政府の許可が無い限り、与えてもらえないものだ。しかし与えてもらおうと考える者は至って少ない。また、いたとしても、何らかの形ではみ出した異色な輩ばかりだ。社会で真っ当に生きられない代わり、この職について政府のバックアップを受けて、機械人間を処罰し金を得る―――そんな裏職業なのだ。
 だが最近そのような考えは薄れつつある。彼らは機械人間を裁くとはいえ、あくまでも裁判官。それも人間の宿敵を排除する英雄である―――そのような、前向きな考えをする者も多くなっていた。
 話している間にモンブランを食すことを再開し始めていたガートルードは、ある程度話の内容を理解すると、フォークを咥えつつ、こくこくと無言で頷いて話を促した。
 珍しく可愛げのあるそれを楽しそうに確認してから、コンラッドは至極真面目に再び薀蓄を広げ出す。
「で、その中で〝死刑宣告人〟の名を告ぐことが出来るのは、複数でも可能だが多くても地方に一人、そしてその長の家族(ファミリー)のみ。……その家族名(ファミリーネーム)をフランク―――フランク人として光栄なファミリーネームを持つ者達だ」
「……まさか、貴様」
 細められていた碧眼が、不意に見開かれた。それは先程までの黒髪の男の、不可解な行動を裏付ける証拠にもなる。何故ならその名はつい昨日、トラブルメーカーが作ったトラブルに巻き込まれた際、この耳でしっかりと聞いたファミリーネームでもあったからだ。
 アグライア・フランク―――フランク族の血と、〝死刑宣告人(エクセキューショナー)〟の異名を持つ『女』が、頭の中に浮かび上がった。
「あの女が……レディ・アグライア・フランクが、死刑宣告人(エクセキューショナー)だと?」
 怪訝そうな相手の声にも、〝ロスの碩学〟は動じず、ただ事実を肯定する頷きを見せただけだ。
「フランク家は代々その異名を引継いできた。そんでアグライアの前の代あたりから、ロンドンでも司法権を手に入れたらしい。そして数年前、アグライアはその名を引き継いだ―――機械人間を排除する英雄という名も共にな」
「―――素晴らしい(エクセレント)」
 不意に。コンラッドの言葉を遮るような、良く通る声が響いた。低く大人びているそれからは、英語ではあったが今では珍しいウェールズ地方の訛りが感じられる。
 いつからその場にいたのだろうか。急いでそちらに視線を向けた二人を挟むテーブルに、そっと手をおいた声の主である若い男は、ガートルードとはまた違った種の、柔らかそうに真っ直ぐ伸びた金髪をもう片方の手で弄りつつ、整った顔に綺麗な笑みを浮かべた。
「その通りですよ、ミスタ・フレーバー。情報収集能力も長けていらっしゃいますね、感服いたします」
「お? 確かお前は……」
 確実に見覚えのある若者に、珍しくファミリーネームで呼ばれたコンラッドは驚きの、だが友好的な声をかける。まるで相手に名前で呼べ、と無言の圧力をかけているようにも思えた。だがそんな圧力にも、若者は圧倒されなかった。不快感を与えないような柔らかい口調で話しつつ、深く腰を折る。
「挨拶が遅れました。初めまして……では、ないですね。あの時は挨拶も出来ずにすみません。実は是非とも貴方達とその〝死刑宣告人(エクセキューショナー)〟についてお話したく、プライベートなお時間に失礼させて頂きます。宜しいですかね?」
「……勿論、歓迎するぜ」
 無愛想で何も答えない同行者に代わって、にぃっと楽しそうに口角を上げて席を空けたコンラッドに、頭を上げた若者―――フリードリヒはもう一度綺麗に微笑んだ。

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