「本当にありがとう御座いました!」
 行方不明だった子供を見つけられたと報告を受けた母親の、泣きながらの笑顔での深い礼に、アグライアは優しい笑みを浮かべ、ゆっくりと答える。
「いえ、ご無事で何より。……またね? お嬢さん」
「またねー!」
 そんな母親に手を引かれ去っていく、先程まで泣きじゃくっていた子供に分かれの挨拶を忘れずに、笑顔を崩さぬまま傘を持っていない方の手を振る―――そして溜息をついた。
 雨はまだ降り止まない。
 昨日今日と立て続けに行われたテロ行為の所為で、人民達に尋常ならぬ恐怖を与えているのは火を見るより明らかである。昨日のテロの被害者が無事なのかという情報が手に入らない身内だってまだいるというのに。何故こうも悪いことは続くのだろうか。自分ではどうにもならない歯がゆさからか、パトカーに寄りかかっていたアグライアは知らず薄い赤のルージュのひかれた唇を強く噛んだ。
「……まだあとこれだけ、いるのね」
 とりあえず避難所となった交通禁止の道路に集結している人々の数に、呟きつつ思わず軽い眩暈が起こる。これだけ身内の安否を気にする人々がいる、中にはすでに死亡している可能性があるとわかっていつつも、健気に待機しているのだ―――およそ適当に調査なんて非人間的なことはしたくない。だがこれは到底自分一人では無理だ。
「さっき応援呼んだのに……何してるのよっ。こんなことじゃいざという時困るじゃない!」
 いざという時、それはまさに今現在の状態である。アグライアは苛立ちをおさえ、だが組んだ腕の先、指で肘を忙しなく打ち付けた。
 全く、今度この不備のことについて相談しないとな―――新たな報告書の作成を心に決める。そうと決まったら実行すべし、と早速冒頭の部分を考えていたアグライアだったが、不意にその考えは大きなクラクションにかき消されてしまった。
「おい、だぁから人乗せてんだよ! 交通禁止だぁ? ふざけんなっ!」
「……あの声って」
 直後に響いた声に思わずパトカーから身を離すと、その音源に向かい足早に歩き出す。数回しか聞いていなかったが、それでもわかるほどの特徴的なアルトは、記憶が正しければ先程まで車に乗せていた人物の一人である。アグライアは未だ不安そうにお互いを抱きしめあう人々の合間を縫って歩いていると、程なくして視界に紅の車が視界に入った。
「あ、貴方は……」
「ん?」
 思わず漏らした声に、向こうも気がついたようだ。窓からにょっと顔を出した運転席を陣取る男はアグライアに視線を向けると、人懐っこい笑みを浮かべ手を上げる。
「よぉ嬢ちゃん、無事会えたな。っと、お前さんでも良いのか? ほらよ、途中で拾ってきた」
「え?」
 コンラッドがくぃっと親指で示したのは、真っ黒の傘男の乗っている後部座席だった。しかし乗っているのは傘男だけではなく、わらわらと明らかに定員数を越えた子供たちだ。
「連れてきてくれたの?」
「おぅ、俺がってかこいつが?」
「嘘つけ。貴様がどうしても連れて行きたいというから、仕方なく俺は子守をしていただけだ」
 何処か楽しそうに含み笑いをして見せたコンラッドに、未だ大事そうに、だが雨天で使う様子を見せない傘を抱えたガートルードは、噛み付くような勢いで反論する。だがその顔が微かに赤いのはアグライアの見間違いではないはずだ。足元によってきた子供たちを腕の中に迎え入れて、無愛想な男の意外な子煩悩の一面を見て意外な気持ちにもなりつつ、次に車から降りたコンラッドの差し出した物に視線を移した。
「これは……?」
「助かってない奴ら、一応見える範囲だけだが……証拠品を持って来た」
「あ……っ」
 所々血のついたネームプレートやら身分証名称やらを、申し訳なさそうに呟いたコンラッドから受け取ると、アグライアはそれを暫く見つめた後、死者を弔うようにぎゅっと胸に抱きしめる。また犠牲者が出た。どうして奴らは人の死の悲しみをわからないのだろう……
「……ありがとう」
「礼はほっぺにチューじゃ駄目か? アグライア」
「黙れ下郎が」
 憔悴しているアグライアに、慰めるようなからかい―――十中八九本気―――の声をかけたコンラッドは、パチンと不器用なウインクをして見せた。そんな後頭部をいつの間にか車から降りたガートルードの手刀が襲う。弾かれたように振り返ったコンラッドが声を荒げ、それに冷静に、だが確実に棘のはやした言葉で対応するガートルード。その後ドツキ漫才のようなかけあいを始めてしまった二人に、アグライアは何故か今まで考えていたことが小さいことのように思えてきて、すっと胸のつっかえが消えていき、最後には思わずクスリとした笑みを漏らした。
「お、やっと笑ったな、アグライア」
 それを待っていたかのように、コンラッドもにっと笑みで返す。続き、未だ何かを反論しようとしていたガートルードも、笑ったつもりなのか口元を微かに歪めた。
 こんな人たちとする旅はさぞかし楽しいんだろうな―――正義と言う重役を担ってばかりのせいか羨ましくもなったアグライアは、ふとその二人を見て何か引っかかるものを感じた。
 何か忘れているような気が……?
 そんな疑問は、次のコンラッドの言葉によって解決された。
「そういやあいつは何処よ、クレミー」
「……あぁっ! 忘れてた!」
 あそこで待機していましょう―――そう言って行動を別にした機械人間との約束をすっかり忘れていた。否、忘れても仕方の無いことだと自分を無理矢理納得させつつ、アグライアは慌てて時計を見る。あれから実に三時間たっていた。あんな真似をしたのだから、大人しく待っているはずが無い。しまった。自分としたことが、強硬派を逃した……
「おい、アグライア?」
 絶望感に似た何かで放心状態だったアグライアを現実に戻したのは、怪訝そうなコンラッドの声だった。
「あ、あのっ……えっと……」
「コンラッド。クーノで良いぜ?」
「えっ、とクーノ! その、私あいつと別行動してて……実はあいつ、強硬派を捕まえるって車から降りちゃったの……待ってる、とか言ってたんだけど、私あいつにナイフ向けちゃったから、多分逃げて……行方が、わからない……ご、ごめんなさい!」
「……ナイフ、ねぇ。物騒なもんを女に持たせるたぁなんて野郎だ全く」
 ぺこりと頭を下げたアグライアに対しそれを咎めるではなく、同行者に向け毒を吐き出したコンラッドはガシガシと黒髪を乱暴に掻くと、後ろで辺りを見回していたガートルードに声をかける。
「ガーティ、お前さんクレミー専用の愛のレーダーであいつの居場所がわかるか?」
「そんなものが仮に備わったとしても、俺はすぐさま大気圏外へ放り投げとるわ。……あいつは、確かに待っているといったのか?」
「え、うん……」
 語尾の質問を申し訳なさそうに佇む婦警に向けたガートルードは、その返答に暫し考えている仕草を見せると、何を思ったのか踵を返し、無人のオープンカーに乗り込んだ。
「おい、何だよガートルード。昼寝か?」
「違う下郎。……あの男は本気で気に喰わぬ世界一嫌な奴ではあるが、約束は守る男だ……ならば今もそこにいるだろう。案内するが良い、女」
「え、でも……っ」
 アグライアは思わず自分の足元にぴたりと寄り添う子供たちを、戸惑いの瞳で見下ろした。今自分がこの場を離れるわけには行かない。だが早く行かないといくら約束を守るとはいえ、所詮あの男の仲間に成り下がった奴の証言だ。あの男が待っている可能性など、自分が強硬派に寝返る可能性よりも低いだろう。
 あれこれと考えを巡らしていたアグライアに、意外と早い決定を下させたのは、背後から聞こえた聞きなれた声だった。
「おーい、アグライア、アグライア!」
「フリードリヒ!」
 弾かれたように後ろに振り返ったアグライアの視界に入ったのは、傘を手にした金髪の同僚が後ろに応援を従え、手を振りつつこちらに向かって走ってきている姿だ。この機を逃さんとばかりに、アグライアは自分の前で立ち止まったフリードリヒに笑顔を向けると、手にしていた証拠品と足元の子供たちを手早く押し付ける。
「ごめんね、私急いでるから。これが証拠品で、こっちが身元未確認の子供たち。少ししたら帰ってくるから、ちょっと待っててね」
「え? や、あの、アグライア?」
「ごめんっ、私のためよ!」
「ちょ……!」
 あまりにも理由が不鮮明で理不尽である押し付けに、優しいフリードリヒは戸惑っただけで、反論することはかなわなかった。会話中に車に乗り込んだコンラッドの後を追いかけ、アグライアはちょっぴり罪悪感を背に後部座席のドアを開ける。
「道案内は私がするから」
「任せた」
 コンラッドに軽く頷くと未だ何か言いたそうな顔をしている同僚にちらりと一瞥をくれてから、アグライアは自分の背後を振り返った。
「……」
 あの男は果たして無事なんだろうか……? 別に心配しているわけじゃないが、同じ機械人間とはいえ、最低向こうは二人いる。あんなひょろひょろの頼りなさそうな細い身体が、テロリスト達から勝利を得ているということを信じていた自分が馬鹿だった―――思わず漏れそうになった舌打ちを辛うじて口の中にとどめた。
「おっしゃ、じゃあ飛ばすぞ」
 そんなコンラッドの声と共に発進した車は、アグライアが三時間ほど前に通ったばかりの道を逆走していった。


「ねえ、クーノ……」
 本来ならば今から迎えに行く男の専用席である後部座席に腰を下ろしていたアグライアは、道の指示を出しつつ散々考えあぐねた末に、決意したように運転席の男に話しかける。
「どうした?」
「……何で、あいつと……旅してるの?」
 柔らかな紫紺の瞳を持つ青年―――しかし人類の敵であり命を奪い続けてきた忌まわしき存在。自分は彼らを許せないのに、どうして同じ人間である二人はそんな者と旅などしているのだろう…? 自分にはわからない理屈を聞きたくて、出来るだけ失礼にならないように、穏やかに問うた。
「あいつ……ってのは、あれか? クレメント」
「え、ええ……」
「んー……難しいことを聞くな……でもはっきり言わせて貰うと、俺は居候みたいなモンだから」
「居候?」
「そ、居候」
 不思議そうなアグライアの言葉に、コンラッドは軽く返す。
 だがその態度は、軽い混乱状態に陥っているアグライアの怒りの感情に触れるには十分であった。何故人間の身でありながら機械人間などに手を貸す? あれは、人類の敵だというのに……
「……何で、なの。あいつ……機械人間でしょ?」
「まあな」
 相変わらずの軽く何も考えてないような軽薄な答えに、アグライアは苛立つ波を抑え切れなかった。唇を噛んで俯き、肉のあまりついていない白い手が余計白くなっても構わず、力強く握り締める。怒りが、抑えられない。これは世界中で機械人間と戦う人々への冒涜だ―――
「……敵よ。奴らは敵だわ、私達の。……貴方達、恥ずかしくないの? 人類を滅亡させようとしている人と旅して、あまつさえ手を貸して味方にすらなってるなんて……今までどれだけの人が機械人間の犠牲になったと思ってる? どれだけの罪無き人があいつらに殺されてると思ってる? そんな奴らに、どうして貴方達は手を貸すの、ねぇ!」
 語尾の方はもう泣けてきてしまう。だが溢れ出そうな涙も気にせず、アグライアは必死に目の前の二人に訴えた。どうしてわからない。放っておけば奴らは自分達を喰らい尽くす―――戦わなくては生きる道なんて残らない。出来れば戦いたくないけれど、戦わなければ私達は死んでしまうんだ!
「……」
「……」
 しかし、返ってくるのはどこか痛々しい無言だけだった。バックミラーからでも二人の表情は伺えない。その時間は未だ何かを言おうとしたアグライアを一度冷静にさせる。不安げに自分の肩を抱くと目を瞬かせ俯く。
(私、間違ってる……?)
 自分の正義を主張していたことに、初めて疑いを持った。だがそれもつかの間。ブンブンと首を振り否定する。
(ここで間違ってるって思ったら、すべてが無駄になっちゃう……!)
 先程の母親の笑顔―――あんな笑顔は今まで生きていた中でも数えるほどしか見ていないが、あの笑みを見るたび自分は「人の役に立っている」と満足することが出来るのだ。それを否定しては今まで自分がしてきたこと、否自分自身全てが壊れさってしまう……
「アグライア」
「え?」
 深い深い思考の奥底、暗い何かに引きずられていたアグライアを引き出したのは、真剣さを含んだ運転手の少し濁った声だった。それに顔を上げたアグライアを見つめていたのは、コンラッドの柔らかい笑みを浮かべた横顔だ。片手をひらひらとさせた後前方を指差し、およそ風貌と似合わぬ言葉を使う。
「え、じゃない、道。案内よろぴこ」
「あ……そ、そっち右……」
「了解―」
 思わず拍子抜けしたアグライアに、彼らしい軽い調子で答えたコンラッドは右にハンドルを回しつつ、言葉を続けた。
「アグライア、すっげー良い女だお前は。だけどよ、物事は平面じゃねぇんだ……それだけしか今は俺は言わねぇことにしておく。聞きたけりゃ―――」
「……?」
 軽々しさからは考えられないほどの重い内容をその言葉の中に感じ、小首を傾げたアグライアだったが、すでに前方に顔を戻しているコンラッドからは表情は伺えない。しかし彼はそんなこと自分では気付いていないかのような口調のまま言葉を締めくくった。
「夜、ベッドでな?」
「黙れ下郎が」
 ピコン、と情けない音と共にアグライアの視線の先に赤い何かが走るのとほぼ同時、ガートルードの唸るような声がした。その手には何時から持っていたのか、赤いピコピコハンマーと呼ばれる子供用玩具が握られている。
「おっ、妬きもちか?」
「ぬかせ。……それより、あれではないか?」
 楽しそうに答えたコンラッドを全面拒否したガートルードは、それを前のスペースに置きふと視線を自分側の窓の外に向け、目こそあわせないがアグライアに向けて尋ねた。
 言葉につられるようにアグライアもそちらに体を寄せると、雨の降りしきる外を覗く。そして目を見開いた。

 そこにいたのは、雨に濡れた麗しき天使―――否、悪魔か。

「あ……」
 キキーッとブレーキ音高く停車したと同時、アグライアは何か胸に溜まっている重い気持ちに背を押されるように、慌ててドアを開け外に飛び出す。その際ヒールがつっかえた気もするが、気にせずに小走りで雨に濡れたまま瓦礫に腰掛け俯く男に駆け寄った。
 クレメントは結っていたはずの長い髪を濡れるがままに濡らし、流れるがままに流して、項垂れていた。またそれが俯き顔にかかっている所為で表情が伺えない。だが、人を寄せ付けないオーラが滲み出ているのは、誰でも充分すぎる程にわかることだろう。
「……どうして……」
 だがアグライアは気にしなかった。否、むしろ気にする余裕が無かった。地面に横たわる二体の強硬派をちらりと一瞥して、呆然とした声を紡ぎ出す。この男は仲間を壊して、敵を助けて、一体何を考えている……?
「―――レディ・アグライア、遅いではありませんか」
 もはや混乱のし過ぎで何も考えられなくなり始めた思考を揺さぶったのは、何処か非難がましい拗ねたような声だった。アグライアは、後ろからゆっくりと近づいてくる足音を耳にしつつ、目の焦点を目の前の男に合わせる。
「待ちくたびれましたよ……私申し上げたはずですが? ここの土地勘は蟻の足ほども無いって。あ、もしや貴方の頭の中で蟻は五メートルとか、そういうオチではありませんよね?」
「なっ、ば、馬鹿にしないでよ!」
 相手の何処か真剣さを含みやがった言葉にはっきりと覚醒したアグライアは、五メートルの蟻ですら逃げるだろうというほどの剣幕さで一喝した。全く、人が心配したらこんな調子で……
(……え?)
 今自分は、この男を心配(・・)していたのか?
 そんなの有り得ない―――そう否定しようとしたが、ひっかかったものがそれを遮る。あの胸の中の重い気持ち、今ではすっかり溶けたように消えてしまっていた。尋常ではない光景の当事者であるのにも関わらず、変わらない相手の調子に一喝した所為かもしれない。だが、まさかあれが心配だというの……? この私が、機械人間の心配を?
「よぉ、クレメント。生きてたか」
 再び有り得ない、と判断しようとした思考をストップさせたのは、後ろからかかった少しばかり濁った声だった。弾かれるように振り向けば、シャツの前をはだげて褐色の少し入った逞しい胸板を見せ付けているコンラッドが、傘もささずにクレメントに向かい、ひらひらと手を上げていた。その後ろで無言の同じく傘をさしていないガートルードもクレメントを見ている。
「ええ、何とかです。心配してくれたのですか?」
「馬鹿言うな、だーれがてめぇの心配なんかするかよ」
「おや、それは光栄ですよ。私ってば信じてもらっちゃってるんですね」
「俺があえて心配するなら、お前の機体がイカれて俺が部品の料金を全額負担し、尚且つ修理しなくちゃいけないって事態にならないかどうかだけだから、安心しろ」
「……全く、素直ではないんだから」
 子供の一人との会話の最後を拗ねたように締めくくったクレメントは、漸く瓦礫から物音立てず腰を上げる。長い髪を持ち上げて、パレットでそれを止め、そしてアグライアの方に体を向き直らせると、何を思ったのかすっと両手を差し出した。
「……何を?」
 アグライアはその手を暫し凝視した後、その上にある男の美貌溢れる顔も凝視する。実は先程までの考えをあれこれと進めていた所為もあり、事態が飲み込めていなかったのもあったが、いきなりの行動に理解しようと頭が働かない。
 しかし相手は詳細な説明も言わず―――否、ある意味でわかりやすい―――不思議そうに小首を傾げてこう言っただけだ。
「何を……って、私を逮捕なさるんでしょう? よろしいですよ、約束ですからね―――私の美学に約束を破るなんて項目は存在いたしいません。このクレメント・ルソーの名に誓い、申し上げましょう」
 ―――ただアグライアにとって、この男は理解不能な存在であることは間違いなかった。

          ※

「ねぇ、壊されたよ? 迎え達が……」
 誰もいない中で、天使≠ェ闇に囁くように言った。
「……ああ」
「ま、あの二人は使える存在だったけど……最終段階にはまだまだだね」
「ああ」
 闇の変わらない、何処かしわがれた声にも天使≠ヘ美しい笑みを崩さない。白いマニキュアを塗った長い爪で、己の唇に触れると、すっと長い睫毛の影を頬に落とし、言葉を続ける。
「僕は思うんだよ……聞いて頂戴、僕の考え」
「ああ」
 その闇の返答を待っていたかのように、天使≠ヘ今まで以上に嬉しそうな笑みを浮かべると、悪魔のような歪みを見せた唇で、こう述べた。
「人間なんて、理不尽なものだよ……僕はファーターを殺したあいつらが許せないんだよね。何で人間はファーターを殺したんだろうね……人間だって、ファーターを殺されたら僕達を許せない、って思うはずなのにな。だから僕は人間を殺すよ。たとえまた人間が僕達に歯向かおうとも……もう僕達には殺されるファーター≠ェいない―――それって綺麗なことだと思わない?」
「……ああ」
 闇は静かに答えた。

          ※

 今日の朝の空は思わず眉を顰めるような鼠色の空だった。
 何となく、嫌な予感がした。これは女としての勘なのだが、今日は自分にとって大変な一日になるのではないか、と。
 その予感は当たり、今日自分は全くもって大変な一日をおくらされた。
 だけど本当にこれで終わるのだろうか……? 私にはまだ大切な分岐点がある気がする。
 ―――あの男の所為で。

          ※

 機械人間(ドロイド)―――それは、数百年も前の過去に人間を滅ぼそうとして生まれた忌まわしき存在だ。一部の人間が世界を変えようとして、人間(・・)の中枢部分を機械に埋め込めた機械人間。今でも全世界に生き残る機械人間たちは、人間達を憎しみ滅ぼそうと目論んでいる。そう言われている。そうして過激なテロ行為を起こす機械人間たちは強硬派(ドロイダー)と呼ばれ、捕らえられては死刑宣告人(エクセキューショナー)≠フ手により、罰せられ壊されていく。
 しかし果たして、その行為は正しいものであるのか? 誰も、わからない。わかっていても、変えることは出来ない。それは自分が無力だから、と自覚しているから。世界はただ時を刻むだけ。
 そんな世界で、戦おうとする者たち。名前こそ明かしていかなかったが、彼は自分のことをこういった。
 ―――私はエゴイストだ、と。

          ※

 はたして人は、不徳なくして徳を、憎しみなくして愛を、醜なくして美を考えることができるだろうか? 実に悪と悩みとのおかげで、地球は住むに耐え、人生は生きるに値するのである。―アナトール・フランス―


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