「ちょ、何をするの!」
 パリンッと勢い良く後部窓が割れた音にビクリと肩を震わせたが、それでも相変わらず前を見たままの度胸を備えたアグライアは、助手席から外に身を乗り出す同行者に向け、心底理解できないと言葉をかける。
「とにかく走り続けてください。私達、狙われていますから」
「……え?」
「あ、これお借りしますよ」
 不穏な言葉を聞きアグライアが思わず聞き返してしまった時には、すでに用意していた拳銃は目にも止まらぬ速さでクレメントに奪われていた。しかしそれは本物で、偽物はしっかりと自分の膝の上に乗っている。邪魔なそれを膝をもぞもぞと動かすことで落としつつ、アグライアは疑問を黒髪の美貌へとぶつけた。
「ね、狙われてるって誰に!」
「アンドロイド……貴方達で言う強硬派(ドロイダー)です」
「え…!?」
 相手の言葉に、自分の命の危うさの感知よりも早く、酷い嫌悪感が胸中を渦巻いた。
 アンドロイド―――新地大革命(ブラッディ・レボリューション)と呼ばれる革命から忌み嫌われ続けている存在だ。先代の狂信者達から生まれた、機械人間。人口増加による問題を解決するためと銘打ち、無理矢理人間をドロイドにして、また人殺しの殺戮人形をも作り出した行動は常軌を逸している。理不尽な理由で殺されないため、奴らと太刀打ちすべく人間は立ち上がり、長い間争いを続けていたのだが、狂信者共が死に失せて人間の勝利が決まってからもドロイド達は、こうして度々テロや殺人事件を起こす。そんな奴らを人間は恨みと憎しみを込め強硬派(ドロイダー)と呼ぶのであった―――
「何で私達を狙うのよ!?」
「じゃあ貴方は私達以外の誰かが狙われ亡くなってもよろしいので?」
「そ、そんなこと言ってない! ただ理由が―――」
 聞きたいだけ、という言葉が口から出なかった。それよりも早く、別の方向に働いていた頭が、とある違和感を覚え、先程この男が言った言葉を脳内で復唱していたからだ。
 貴方達で言う強硬派(ドロイダー)です―――
 つまり、それは自分ではそう呼んでいないということ。アグライアの知る限り、それに当てはまる人物は―――自分自身が強硬派だという奴らだ。
「……何のおつもりで、レディ・アグライア?」
「その銃をこちらに渡し、投降なさい、強硬派!」
 隠し持っていたサバイバルナイフで背中から相手の心臓の位置を捉え、アグライアはドスの効いたアルトで叫ぶ。しかし相手の様子は少しばかり焦っているように見えたが、それは多分背後のナイフのせいではないだろう。そう思うと、自分の非力さが憎たらしくなり、ナイフを持つ手に力を込めた。
 この男に今の状況に関する罪は無い。それは今テロを起こしている強硬派とこの男に仲間関係は見当たらないことが明らかにしている。だがこの男もドロイドならば、すぐにまた同じようなテロ事件を起こすに決まっている。人間と対立するに決まっている。強硬派などこの世に存在してはいけない者の集まりなのだ―――なら、正義の身である自分が排除しなければいけない!
「あんた達の弱点はここでしょ、人間の心臓と同じ心機能装置! そこをこれで刺したらいくらドロイドだって勝てないわ! 早く投降なさい!」
「……」
 ドロイドと人間の違いの一つとして、驚異的な持久力が挙げられる。人間とほぼ変わらない人工皮膚や、中のフェノール樹脂で覆われた強化ゴムで出来ている人口筋肉などは小型拳銃では貫けないほど強度は高い。またそれら全てを動かしている心機能装置か、生体部品である脳が壊れない限り、彼らが生命維持活動を停止することは無い。ならば抵抗されないよう、心機能装置を素早く壊せるような体勢をとるべきである。
 研修で教わったやり方を確実に進めたアグライアは、前方に気をつけつつも、強硬派の出方を伺う。
 時間として数秒の空白が過ぎる。
「……わかりました。いいですよ、私を捕まえても」
 暫くして諦めたような声色で、クレメントは答えた。
「なら早く拳銃を寄越しなさい!」
「それは出来ない相談ですね」
「さもないと殺すわ! 本気よ!」
「……私は部品が壊れてしまうだけです」
 何処か悲しげに、機械人間(ドロイド)はそう呟く。機械人間とは本来人間のように溢れるように豊かな感情を上手く出せないと研修で習ったはずなのだが、アグライアはそんなこと気にもとめない。ぐっと背中にナイフを押し付け、鋭い警告を発した。
「早く渡しなさい!」
「ですが、貴方達人間は……いつかは死にます。私達は部品を交換すればまたすぐに活動できます。けれど貴方達の命はたった一つだけ……死に急ぐこともない」
「…っな、何が言いたい!」
 まるで詩人が歌うような調子で喋り続けるクレメントに、わずか怯みを見せたアグライアだったが、すぐに気を持ち直すと、苛立たしさに声を荒げる。
「私を捕まえても構いません。ですが、捕まえる人が死んでは意味が無いでしょう? こうしませんか、レディ・アグライア? 私があいつらを捕まえる協力しますから、無事に逃げられたら私を捕まえる―――どうです、貴女にとって良い条件では御座いませんか?」
「……」
 この男は自分の命が惜しくないのだろうか―――あまりに淡々と自分の破壊の宣告を果たした相手に、アグライアは薄ら寒いものを感じた。確かに自分にとってのデメリットといえばこの男と、機械人間と組まなければならないという耐え難き屈辱だけだ。しかし、機械人間を捕らえ、またこんなテロ行為を行った強硬派も捕らえられるという手柄に比べれば、ほとほと我慢が出来ないわけでもない。だが果たしてこの男を簡単に信用しても良いのだろうか……?
「―――悩んでいるところを申し訳ありませんが、スピードを緩めていただけますか?」
 そんな思考を遮った機械人間は拳銃―――S&WリヴォルバーМ19の銃口を、地面と水平に構えていた。
「ああ、それと悩んでいる暇は無い、と先に告げておきますよ。レディ・アグライア」
 クレメントの言葉が真実であることは、アグライアが一番知っている。構えていたナイフが、そろそろと降りた。このまま刺せば本来ゴムである人工筋肉を貫けるだろう。しかし今ここでこの男を殺すのはどうしても得とは思えなかった。納得しがたいことだが自分よりも強い機械人間に、人類の命を託さなければ沢山の尊い命は理不尽なテロ行為で消えてしまうだろう。
「……わかったわよ。だけどアンタ、逃げないでよね」
 アグライアはぽつりと呟くと、運転に専念し始めた。この男が間違っていなければ―――とそこで信じてしまう自分が一番信じられないが―――狙われてるのは自分達である。ならばまずは人ごみから抜けなくてはいけない。そんな婦警の様子がどう思えたのか、一瞬目を見張ったクレメントだったがすぐに柔らかい笑みを白すぎる顔に浮かべる。
「私の美学に約束を破るという項目は御座いませんからその点につきましてはご安心を」
 そう言いながら、クレメントの紫紺の瞳がすっと細まる。その先にいたのは、離れたところで後ろから追い上げてきた車内から、同じく拳銃―――それもライフルを構えこちらを狙っている強硬派だった。
「先程のテロは事前から計画されていたことでしょう。多分あの食料輸送車が仲間の車だったんじゃないでしょうか。確かに危ない橋だったけれど、多分運転手は第三期機械人間(ドリットドロイド)ですかね……それなら機体(ボディ)が様々に強化されてますから、心機能装置が壊れないよう措置すれば、運転手も絶対大丈夫です」
「てっ敵が大丈夫じゃ意味ないでしょう!? それより答えて、何で私たちが狙われてるのよ!」
 サイドミラーを一瞥し、ライフルで狙われていることに気付いたアグライアは半ば悲鳴のような声を上げる。数秒前まではこの男を信じても良いような気になっていたが、前言撤回である。今までの生活の中で度々命の危機を感じたことはあったが、こうまで理不尽な命の危機は出来れば御免被りたいものだ。
「……私のせいかもしれません。否、絶対そうでしょうね」
「え?」
 相手の自嘲のような苦笑のような、苦しげである声を聞きふとそちらを一瞥してしまった。だが相変わらずクレメントの顔は見えない。
 私のせい―――つまりこの男を狙っている、何故?
 どうして仲間同士で殺し合いを……?
 その言葉を続いて言おうとしたのだが、すぐに口を噤む。これではこの機械人間を哀れみ、同情し、心配しているようなものではないか。大体、仲間割れは一向に構わないが、どうでもいい理由で人間に被害を及ばすようなことはしないでほしい。
 自分の機械人間に対する微かな哀れみを押し込めて、アグライアはキッと強い目を前方に向けなおした。
 クレメントはそれを鋭い雰囲気だけで確認すると、照準を車のタイヤに合わせる。壊す真似だけはしたくない。それに例え銃とはいえ、こんなものじゃ鋭利な刃物か何かが加えられない限り機械人間の強度及び弾力性を複雑なまでに高めたシリコンの人工皮膚と強化ゴムは突き通せない。ただ相手の車の動きだけを止めればその後は自分が―――
「……ッぃ!」
 この時彼が条件反射の素早い機械人間でなく、唯の生身の人間だったならば、その頭は無くなり、遠くで肉の塊になっていただろう。反射的に首をすくめたクレメントの頭上をライフルの銃弾が数発飛んでいった。どうやらフル・オートマティックらしい。威力がある上に厄介だ。
「……負けない」
 だがクレメントは諦めなかった。ここで負けるわけにはいかないんだ―――頭の中で、自分の瞳と同じ紫紺の長い髪を揺らす女性を懐かしくまた悲しく思い浮かべ、クレメントはキッと目の力を強くする。そして引き金に指をかけ、容赦なく引いた。ダブルアクションのためこれはこの動作だけで銃弾が無慈悲に発射される。
「―――っ」
 機械人間単品ならば逃げることも可能だっただろうが、今は大きな鉄の塊に乗っているのだ。タイヤに銃弾を当てられ、ぐらりと車体が揺らいだ。
「……」
 クレメントはそれを見逃さず、立て続けに前輪、後輪と狙っていく。直後パンとタイヤが破裂するような小さな音が聞こえた。決してクレメントの命中率は百ではなかったが、相手を足止めし、こちらに銃弾を当てさせないための妨害としては十分だった。
「リヴォルバーは装填が面倒ですね……」
 六発を撃ち終わってから、クレメントは助手席にするりと戻る。もうあれでは走れないだろう。今のうちに射程距離圏内からまずアグライアを逃がさなければ……
「……おや?」
クレメントの瞳が、自分の前に置かれた新たな薬莢にうつった。そしてすぐにアグライアがそっぽを向いたまま黙って銃弾を渡してきたということに気づき、微かにクスリと笑うと、「ありがとうございます」と言ってシリンダーの中に埋め込んだ。直後美しくも真剣な顔をアグライアに向ける。
「聞いてください、レディ・アグライア。あの人たちは私が何とかいたしますから、貴方は逃げてください」
「な、何言ってんのよ!」
 一瞬だけちらりとこちらを見たアグライアは声を荒げつつも、クレメントの顔が真剣だということに戸惑いを感じていた。
 今まで出会ってきた強硬派は絶対に人間と協力し合ったりしなかった。ましてや隙あらば殺してしまおうとすらする団体だった―――なのに何故この男は自分を助ける?
「アンタ、何企んでるのか知らないけど! そんなこと許せると思ってるの? アンタは私の敵で、私はアンタの敵よ、何でそれをおめおめ逃がすのよ!」
「敵? おや、それは非常に心外ですね」
 大げさに肩を竦め、だが心外という言葉にはおよそ相応しくない声色でクレメントは答えると、美貌に非の打ち所の無い笑みを浮かべた。その言葉に驚きの顔を向けてきたアグライアに、一瞬だけその笑みを見せてからそっと顔を逸らし、大切そうに銃を胸元にしまい言葉を続ける。
「私は貴方を敵に回したつもりは御座いませんが……おっと、早く前を向いてください。ぶつかりますよ」
「え、あ、やっ!」
 クレメントの忠告に、慌てて自分が前方無視をしていることに気付いたアグライアは、目の前にまで近づいていた前方車を急いで避けた。
「でも、アンタ一人じゃ……っ」
「私一人で大丈夫です。ご心配には及びませんよ、レディ・アグライア」
「心配をしてるんじゃないわ! 私はっ、私はアンタが人間を殺しまわるようなことをしないか心配なの!」
 すでに全開の窓に手をかけているクレメントは、アグライアの言葉にただ苦笑を漏らすだけにとどめた。今こんなところで口論をしていても仕方が無い……
「私は貴方のこの銃で、人を殺すつもりなんて毛頭御座いません。貴方を汚すことになりますからね、レディを汚すなんて私の美学に反します。……貴方はこの後、貴方のしたいようになさってください」
「なら私もついて―――」
「駄目です」
 アグライアの意志を固めた言葉にも、クレメントは首を縦に振らなかった。ゆるゆると首を横に振り、アグライアの横顔を優しく見つめる。
「貴方を必要としている人達がいる……貴方は、その人達の期待にこたえるべきだと私は思いますが。……そうですね、貴方の作業が終わるまで、私はあの人たちを捕まえて、そこで待機していましょう。後でちゃんと迎えに来てください? 私、ここでの土地勘なんて蟻の足ほどにも無いので」
「……」
 この男は本気だ―――ちらりと一瞥した紫紺の瞳に揺らぎが無いことを見て、アグライアは何処か恐怖にも似たものを背筋に感じた。何故この男は、強硬派の癖に人間を助けるのだろう。敵ではないと言ってはいるが、男の命を狙っている自分を助けるのだろう。はたまた自分の命を、簡単に差し出すのだろう……
「では、行ってまいります」
 呆然としたまま前方を見るアグライアに、クレメントは柔らかく微笑みかけた。
「―――」
 その後、何故アグライアは自分の敵にこんなことを言ったのか、自分でもわからなかった。
「……御武運を」

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